あれから一年。当時の手記があるので補足を加えながらこれを機会に公開したいと思う。
授業を終え
1月24日火曜日。前週から近畿地方では大雪が予測されJRでも運転見合わせの可能性を示唆していたものの大雪が直接影響した遅延は起きていなかった。(架線付着物で遅延はしていた)そのため大学では通常通り授業があったためいつものように列車に乗り、大学へ向かった。
15時ごろ大学校内でも雪が降り始め数十分にもかかわらず葉っぱの上に白く積もっていた。教員が交通状態に気づき電車止まりそうな人は帰っていいよみたいなことを言っていた記憶がある。念の為早く帰ることにした。外へ出た時は止まるとしても湖西線は近江舞子以北の運転見合わせのみでまさか近江舞子以南は巻き込まれないだろうと油断していた。
京都駅へ着いた頃、いつもと違い改札の外までも列ができていた。まさかと思い進んでみるとちょうど通学に使う琵琶湖線・湖西線のホームに上がることはできず入場規制が行われていた。
後ろの階段は規制されていなかったのでそこからホームで上がってみるとこのようになっていた。この時琵琶湖線の列車は確か動いていたはず。
湖西線方面の列車を1時間以上待ちようやく近江舞子行きが到着した。ただ、先行車両が詰まっていたためなかなか発車することはなかった。皆この列車に乗らなければ帰れないと思ったのかかなり人が入ってきて満員電車状態であった。ようやく発車。
しかし
19時40分ごろにトンネルを抜けたところで再び停車。先行に特急と貨物列車がいて信号待ちに状態に。しかもそれだけではなくポイントが故障しているとのこと。周囲には体調不良を訴えるものが続出した。急病人が発生するたびに後方にあるSOSボタンを押し車掌へ連絡。
そもそもSOSボタンを押されること自体珍しいのに何度も押されるという光景を見て恐怖しかなかった。車内では席の譲り合いを行っている人がいた。「体調が悪い方がおられたら教えてください」と皆が声を掛け合ったりSOSボタンの近くにいる人にボタンを押してもらえるように大声で伝え得たりと協力し合っていた。
車内では119に通報している人が見られた。目の前にいた人は警察や消防へ通報したがJRの管轄と言われたことに腹を立ち電話で言い合いになっていた。しばらくすると酸欠を防ぐために窓を開けるよう指示された。
それから4時間ほど経った23時ごろに降車して山科駅まで徒歩で向かうことになった。と言ってもまずは急病人の搬送。中に救急隊員が複数入ってきて体調不良を訴える人の確認をとっていた。
無線からは中京区や左京区を管轄する消防に特命出場の指令がされていた。腕章を見てみると北区の紫明出張所の隊員もいた。体調不良者の確認をとっている際には周りにいる人が本人に代わって救急隊に返事をしていた。また、急病人に限定してトリアージタッグが用いられていた。少なくとも途中で見かけた二人は黄色タグがつけられていて自力歩行が困難な人もいた。
急病人は担架の上に乗せられ引きずられて搬送されていった。2時ごろに一番前と一番後ろの扉から通常の降車作業が開始された(上の写真は別)。私は、真ん中の車両に乗っていたためかなり時間を要した。
列はなかなか進まなかった。
8時間経過した3時13分。ようやく降車することができた。ここからはひたすら山科駅まで歩くことに集中するのだが困難だらけであった。寒い、そしてかなり滑る。何度か滑ることもあり救急隊によるとかなりの人が徒歩中にこけていると注意喚起が促された。
府道143号四ノ宮四ツ塚線の高架 複数台消防車が止まっている。
歩いている最中にもサイレンがかなり聞こえ途中にあるセブイレあたりに消防車が集結していた。
3時55分ごろ。山科駅に到着。ホームには3台列車が止まっておりいくつかは休憩用に解放されていた。通過線で抑止しているサンダーバードもいた。到着してから真っ先に向かったのがトイレ。車内で待っている間に何人も車両後方にあるトイレへ向かっている様子を見かけた。列をなしていると耳にした。さすがにその状況でトイレへ向かうのは嫌だったので駅に到着するまで我慢した。
その後、改札へ向かうのだが改札が使えない。窓口にも列ができており、後日入場する際に駅員に声をかけてくれたら入場が可能とアナウンスされていたがそれも面倒だったので窓口で出場処理をしてもらうことに。ようやく駅から脱出できた。外では京都市の方やボランティアの方がブランケットを配布していた。また、駅前にある地下街が開放されており休憩することができた。
私は、駅に迎えにきて欲しいと親に連絡していたので車で帰宅した。私は大津市住みなのだが、大津から京都市内へ行く手段として西大津バイパス(湖西道路)、国道1号線、名神高速道路、最悪山中越の4ルートがある。ただ、西大津バイパス、国道1号線では立ち往生が発生しており、山科駅に到着するまで通常に比べて3時間ほどかかったとのことだった。
親は毛布と飲み物、パンを用意してくれていて14時間ぶりに食事をとった。家に到着した時刻は忘れたが寝る時には朝の6時半を過ぎていた。ここまで大雪に影響されたのは初めてかもしれない。教訓としては、飲み物を常備しておくこと、モバイルバッテリーを複数台持つことである。後者に関しては不安のあまりスマホをずっと見ていたため3台分充電できるモバイルバッテリーを使い切ってしまった。幸い他にもモバイルバッテリーを持っていたため親との連絡手段は保っていた。もう二度とこのような経験はしたくないものだ。